1997年から1998年にかけて、アジア新興国に深刻な通貨危機が起きました。
それがアジア通貨危機です。
アジア通貨危機により、いろんな国で通貨の暴落や深刻な経済低下が起き、世界的な出来事となりました。
本記事では、アジア通貨危機の原因について解説します。
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アジア通貨危機とは
アジア通貨危機とは、1997年にタイの通貨暴落を中心に、アジア新興国(タイ・インドネシア・香港・韓国)の急激な通貨下落現象のことです。
現象自体、日本ではそれほど影響がなかったことから、あまり日本では知られていません。
しかし、アジア新興国には深刻な悪影響を及ぼしました。
この現象は1997年7月にタイ通貨「バーツ」の暴落がきっかけで、通貨や株式市場に影響を与え、1998年にはロシアや中南米諸国にもその影響は波及しました。
1998年の8月にはロシアに多額の出資を行っていたアメリカの大手ヘッジファンド会社「ロング・ターム・キャピタル・マネジメント」はアジア通貨危機の影響で破綻。
世界的に見ると、先進国経済に多大な影響を及ぼしました。
アジア通貨危機が起きた原因
アジア通貨危機の原因となったタイを中心に、実はアジア新興国は1980年代から、GDPは右肩上がりで急激に成長していました。
毎年のGDPは10%近くで、アメリカや日本などの先進国からの投資もあり、アジア先進国は世界の生産拠点へと成長していたのです。
そんな成長著しい最中の1997年、アジア通貨危機が起こります。
順調だった経済は一気に転落。
その理由を説明します。
タイがきっかけ
前述したアジア新興国の経済の中心はタイです。
そして、アジア通貨危機もタイがきっかけで起こりました。
1990年代、タイは常にGDP成長率10%近くをキープし続けていました。
その理由は次の3つです。
● オフショア市場の開設
● ドルペッグ制の導入
● 外資主導の輸出増幅
タイは独自の金融政策を行ったことで経済成長しました。
それが「オフショア市場」の開設です。
オフショア市場とは、国内市場とは別に規制や課税方式を適用した非居住者向けの市場のことです。
そのため、当時のタイは国内市場とオフショア市場の2つの金融市場が存在していました。
問題点は、国内市場のバーツの貸出金利は13%だったにも関わらず、オフショア市場は6~7%ほどでした。
これが後の金融バブル崩壊を呼び込みます。
さらに、タイは「ドルペッグ制」も導入していました。
ドルペッグ制とは自国通貨の価値を米ドルと連動させる制度のことです。
ドルペッグ制により発展途上国の紙幣価値を安定させ、通貨の乱高下を防ぐことができます。
アジア通貨危機が起きた当時のタイは1ドル=26バーツで固定されており、先に紹介したオフショア市場にアクセスができる企業はかなりの低コストで、ドルを調達できました。
オフショア市場とドルペッグ制により、タイには多くの海外資本が流入し、それが結果的に過度な不動産投資を呼び、金融バブルの崩壊へとつながりました。
輸入増加で赤字に
1980年代、日本では円高が進んでいました。
これは、1985年のプラザ合意によるものです。
円高が進行すると国内での価格競争が加速します。
その結果、企業はコスト削減のために海外に拠点を移転し始めました。
その拠点の移転先がタイを始めとした、アジアの新興国でした。
多くの日系企業が拠点を移転し海外の直接投資が増えたのです。
とくに自動産業の成長は著しく、需要と供給のバランスが崩れるほど、規模は拡大。
そのため、タイの成長は海外資本に頼らざるを得ない体質になってしまい、輸入増加による赤字につながります。
アメリカの政策変更
アメリカの政策変更によるバーツの高騰もアジア通貨危機の原因となりました。
1995年、アメリカ政府は強いドル政策を行いました。
これは、強いドルがアメリカ経済を牽引するいう考え方で、1995年にルービン財務長官が提唱したものです。
強いドル政策は「強いドルが国益をかなう」とした通貨政策で、この強いドル政策によりドル高は加速。
ドル高が進行することにより、前述したドルペッグ制を採用しているバーツの紙幣価値は連動します。
その結果、バーツの高騰も進んでしまうのです。
輸入が多いタイは、バーツ高になれば不利な状況に陥ります。
また、1980年代から1990年代にかけて、常に成長曲線を描いていたタイの経済ですが、アジア通貨危機が起きる前年は成長率が5.6%と、陰りを見せ始めます。
中国人民元の大幅値下げによるASEAN諸国の輸出競争力低下や、急速な経済成長に伴うタイ国内の賃金上昇という原因もありました。
結果的に世界的に影響を与えたアジア通貨危機
前述した理由により発生したアジア通貨危機ですが、日本では影響は限定的でしたが、世界的に見ると、その影響は多大なものでした。
アジア通貨危機の日本への影響や日本以外の国への影響について紹介します。
日本への影響
日本では経済恐慌など、深刻な事態は起きませんでしたが、やはり少なからず経済的に影響は出ています。
アジア通貨危機を受けて日本は直ちに、東南アジアへの支援金の支出などを行いました。
そのため、日本にも経済的な影響は発生しました。
1997年当時の日本はアジアの中でもとくに著しい経済力を誇っていました。
また、日本はアジア各国への工業製品を輸出する産業も多く存在しています。
そのため、アジア通貨危機の影響は少なからず受けることになりました。
日本以外への影響
アジア通貨危機の影響により、他の国も大きなダメージを受けました。
韓国では1997年に立て続けに財閥系の企業が倒産するなど多大な被害を受けています。
1997年には1ドル=850ウォンから、年末には1,700ウォンにまで下落。
これを受けIMFは97年の11月に210億ドルの経済支援を行いました。
インドネシアでは、経済の低迷により各地で暴動が起こるなど、経済の低迷と共に治安も悪化。
その結果、32年間にわたるスハルト政権が崩壊する事態に陥りました。
アジア通貨危機以前は財政も比較的安定していましたが、一気に紙幣価値が下落。
通貨危機以前は1ドル=2,000ルピアでしたが、1997年12月には1ドル=4,000ドルになり、さらに翌年の5月には17,000ドルまで下落しました。
マレーシアでも紙幣価値の暴落が起き、1ドル=2.9リンギットから1ドル=4.5リンギットまで下落。
1998年のマレーシアの経済成長率は-7.36%と非常に落ち込んでいますが、翌年には6.13%へと回復しています。
さらに、ロシアもアジア通貨危機の影響を受けています。
ロシアでは輸入額の大半がガスや石油などの天然資源が主でした。
しかし、通貨危機による経済減退でエネルギーの需要が低下。
その結果、輸出品の価格が下落し、経済の状況も悪化しました。
また、ブラジルでも、ロシアの経済危機とアジア通貨危機を受けて資本流出が発生しています。
まとめ
世界中に影響を与えたアジア通貨危機の原因について説明してきました。
アジア通貨危機は日本での影響は限定的でしたが、世界的に見ると政権が崩壊したり、深刻な経済状況に陥ったりと、とても影響力のある出来事でした。
現在では影響を受けた国の経済はほぼ回復しています。
とくに原因となったタイでは、これを機に、貿易収支を改善して現在の経済成長の糧にしています。
ただ、またこういった金融危機が起きる可能性がないとは言い切れませんので、海外投資する際は、投資する国の政策を十分に検討する必要があるでしょう。